福岡・北九州・小倉・門司 ブランド品・貴金属・お酒など、高価買取なら総合リサイクルショップエコプラスへ!

福岡・北九州・小倉・門司 ブランド品・貴金属・お酒など、高価買取なら総合リサイクルショップエコプラスへ!

お問い合わせ
会社概要
採用情報
小倉南店・湯川
小倉北店・三萩野
門司店・大里戸ノ上

エコプラス

会社概要
お問い合わせ

福岡・北九州の高価買取・無料出張買取・宅配買取ならエコプラスへ!
    福岡でリサイクルショップを3店舗運営してるので安心|福岡・北九州・小倉・門司

小倉南店
小倉北店
門司店
MENU

知恵袋ブログ

クロエ(Chloe)の創始者は自分の名前が嫌すぎて・・・?クロエの豆知識あれこれ

2018.04.22

今回はカジュアルさと上品さを合わせもったクロエ(Chloe)のあれこれを書いていきます。

 

クロエはギャビー・アギョンによって創設されたフランスの名門ファッションブランドです。

 

ブランドの由来は、2つ説があるそうです。

 

まず一つ目は、

バレエ音楽『ダフニスとクロエ』

という作品から。

この作品は、ダフニスとクロエの恋物語になっており、

主人公であるクロエの優雅な踊りからインスピレーションを得た

という説。

 

二つ目は、

ギャビーが自信の名前を気に入らなかったため、フェミニンな感覚のある友人の名前からとったという説の二つです。(1)

 

『社名は創業者の友人の名前から借用されたもので、自分の名前をブランドに用いなかったのは、自分の名前がまるで占い師のようだと考えたためとされる。』

引用元:ウィキペディアより

 

個人的にはアギョンって名前いいと思うんですけどね・・・

 

Agyohn 

 

英語にしたらなんでもオシャレに感じます(゜レ゜)笑

 

まぁアギョンさんはクロエが良いと思ったわけですね!

 

 

 

ちなみに、今年のサマーコレクション2018のコンセプトはこんな感じのようです。

 

『日常に取り入れやすい自由なスピリットを体現した今シーズンのシーバイクロエ。

ナチュラルな素材から生まれるアクティブでしなやかなシルエットと、淡いトーンやグラフィカルなボタニカルプリントがポイント。

リラックス感漂うスタイルで、夏の暑さを感じさせない涼し気な印象を演出しています。』

引用元:chloe公式サイトより

 

SBC_SU18_RTW_01

 

 

 

ぜひ、お近くのエコプラスまでお越しくださいませ 😆

 

参照元)

(1)「イトウ質店」

http://ito78.co.jp/blog/brand/1314.html

PRADAは動物愛護から反感を買い倒産寸前だった!?プラダのあれこれ豆知識

2018.04.22

今回はシンプルかつスタイリッシュなデザインで大人気のプラダPRADAについて書いていきます!

 

PRADAって名前の由来はどこから来ていると思いますか?

 

なんと創始者の名字なんです!ってブランドにありがちな理由ですね。。。(^◇^)

 

PRADA社はイタリアのマリオ・プラダが皮製品のブランドとして始めたものだそうです。

このように「貴族向け皮製品のブランド」として始めたため、最初のうちは「ワニ皮」や「オーストリッチ」などの素材をふんだんに使っていたのですが、そのうち、「動物愛護」の運動が高まってきたことや、デザインの流行性などが原因で、人気が凋落。

そんな中、1970年に国立ミラノ大学政治学科を卒業したミウッチャ(Miuccia・Prada)が祖父マリオの死後ビジネスに加わり、マリオが旅行用のバッグに使用していた工業用防水ナイロン生地ポコノに目を向け、今のナイロン素材のバッグを売り出し、世界的な大ヒットとなりました。(1)

 

そんなPRADAですが、女性が身につけていると一目置くブランド7つに選ばれています!(2)

 

■黒の使い方がセンスあり!
・「プラダ。黒の使い方がうまくセンスが出る」(34歳/団体・公益法人・官公庁/事務系専門職)

・「プラダ。ヴィトンよりも目立たないけど、オシャレ感はある」(37歳/団体・公益法人・官公庁/専門職)

黒を基調としたアイテムが多い「プラダ」は、持っている人のセンスが問われるブランドですよね。デザインがシンプルなので服装に合わせやすく、持っているだけでオシャレ感があるようです。

 

私もプラダを持っている人はオシャレでかっこいいと思ってしまいます(●^o^●)

 

でもブランド物は高くて新品では・・というあなた!

 

みんなが憧れるPRADAの財布、バッグ、キーケースetc中古品をエコプラスでは激安で販売しております!!

 

PRADAを持って周りに自慢しちゃいましょう♪(*^_^*)

 

参照元

(1)

「プラダ人気大特集」

http://cdfpulada.seesaa.net/category/24518176-1.html

 

 

(2)

「Woman excite」

https://woman.excite.co.jp/article/love/rid_Escala_20161223_6409434/

 

エルメスのロゴに隠された真実とは!?‐小倉でブランドの買取&中古販売はエコプラス‐

2018.04.10

こんにちは!エコプラスです(*^^)v

 

今回は世界中の憧れの的!エルメスについて書いていきます。

 

突然ですが、エルメスと聞いてみなさん何を思い浮かべますか?

 

ブランド、高級品、バッグ、電車男?(^0_0^)

 

あのロゴを思い浮かべる人も多いのでは??

↑人が馬を引き連れている絵が描かれたこれです。

 

でも、どうして馬の絵が描かれているのでしょう?何か理由があるのでしょうか?

 

調べてみました!

 

もともとエルメス社は馬具を製造する工房だったみたいです。

 

ほ~それで馬の絵が描かれているわけですね。( ..)φフムフム

 

もう少し掘り下げてみましょう!

 

創業当初のエルメス社は馬具工房としてはじまりましたが、自動車が開発されたため、馬車の衰退を予測してバッグや財布などの製造をはじめました。

 

ロゴには馬車と従者が描かれています。

主人が描かれていないのは「エルメスは最高の品質の馬車を用意しますが、それを御すのはお客様ご自身です」という意味が込められているためです。(1)

 

そんな意味があったとは!\(◎o◎)/

馬具工房としても認められていたエルメス社ですから、その馬具製作の技術が革製品の製作にも活かされて、さらには洗練されたデザインも相まって世界中の人々にも愛され続けているのですね。納得です!(@_@)φ..

 

2018年の好きなブランドランキングではなんと1位を獲得しています!(2)

 

ちなみに2位はルイヴィトンなのですが、ルイヴィトンについての記事もよかったらコチラからご覧ください。

 

そんな素晴らしいエルメスですが、エコプラスでは高価買取をしております!

 

実際に売っていただいたお客様からは「こんなに高く値がつくと思わなかった」「対応がとても良い」と喜びの声をいただいております 😛

 

エルメスほどのハイブランドを新品で買うのはちょっとお金が・・・という方にも!エコプラスでは他に負けないくらいの価格で売っています。

 

元々が高級品で造りがしっかりしたものなので、買取価格が高額になることが多く、中古でも新品のようにすごく綺麗なものもあります 😆

 

ぜひ一度ご相談ください♪

 

スタッフ一同皆さまのご来店を心よりお待ちしております(*^_^*)♡

 

 

 

 

参照

(1)「ウィキペディア」https://ja.wikipedia.org/wiki/エルメス

(2)「Ladies Me」 http://design-dtp.net/高級バッグブランド/

 

 

 

 

 

ルイ・ヴィトンのバッグや財布を「売る&買う」か迷っている方必見!豆知識blog

2018.04.10

みなさんこんにちは!

 

今日は世界に人気を誇るルイ・ヴィトンについて書いていきたいと思います。

 

知らない人を探す方が難しいくらい超有名・超人気なハイブランド、それがLOUIS VUITTON!

 

2018年度好きなバッグのブランドランキングでも堂々の2位に輝いています!(1)

 

ちなみに1位はエルメスなのですが、エルメスの記事も書いていますのでよかったらコチラからご覧ください。

 

でも、ルイ・ヴィトンの名前は知っているけど、詳しいことはよく知らないっていう方が多いのではないでしょうか。

そんな方のために今回はルイヴィトンについてちょっとした豆知識を紹介していきたいと思います。

 

ルイヴィトンは、フランスのスーツケース職人であるルイ・ヴィトン(Louis Vuitton)が創始したファッションブランドのことです。

 

ロゴのLとVは創始者のイニシャルなんですね。

 

ヴィトンは実は日本となじみが結構あり、みなさんがよく知っている↓画像のモノグラムは、日本の家紋がモチーフになっているんです。

 

そういう理由があってかないのか、世界のヴィトンの売上のなんと6割は日本が支えているそうです。(2)

 

ヴィトンは、最初はフランスの小さな旅行鞄専門店の会社でした。

しかし、小さい会社であっても確かなバッグ作りの技術を持っていて、それが広がっていき、大きな会社へと成長していきました。

 

デザインやブランドイメージだけでなく、確かな品質性能を持っているのです。

 

そんなルイヴィトンの豆知識をご紹介しましたが、だんだん欲しくなってきませんか?

 

でも新品だとバッグで20万~40万くらいしますからなかなか思い切れませんよね(-_-;)

 

中古ならお財布に無理なく買うことができます!(人によりますが)

 

それにもともと高品質なものですから、中古でも綺麗でしっかりとしたものもあります。(新品でも使えば中古になりますしね)

 

古くてもハイブランド品なら使えば使うほど味がでてきたりもするんです。

 

また、すでに生産中止されているものでも手に入ったりしますので、中古っていいことがたくさんあるんです 😆

 

ぜひ一度店頭までお越しいただくかお電話ください♪

 

売ろうか迷っている方も!当店はルイヴィトンをはじめとするハイブランドの買取を強化しております!破れていてもボロボロでもお値段が付く場合もございます

 

 

今回ご紹介したヴィトンのほかにもブランド品の高価買取&激安販売を行っておりますので、ぜひご利用くださいませ(^O^)/

 

参照元

(1)「Ladys Me」

http://design-dtp.net/高級バッグブランド/

(2)「ルイヴィトン魅力と歴史」

http://www.brand.asiajpn.net/2_1.html

 

 

金、プラチナ製品の買取りについてですよ!!

2017.05.22

金、プラチナ製品の買取について皆さんの疑問に答えます(゜o゜)

Q どうやって金額出してるの?

A 金、プラチナの重さ+付いている宝石+デザイン料ってかんじです!!

なのでちぎれたネックレスでも金、プラチナ分の価値があります\(゜ロ\)(/ロ゜)/

 

Q お店によって買取金額が違うのはなんで?

A みなさんここ気になりますよね!!!自分たちも基本的には金、プラチナの部分は専門の業者に売って     います!!リサイクル業者価格で買って貰っているのですが・・・・

専門の業者も買ってくれる金額がまちまちで18金で例えると

業者A・・・・1グラム3400円

業者B・・・・1グラム3600円

業者C・・・・1グラム3300円

だとすると業者Bに売っている質屋さん、リサイクルショップが一番高い買取りが可能ってかんじです(^^)

エコプラスはギャラドスがカエルをなぎ倒して異次元の金額で買取ってもらってます!!!

な・の・でエコプラスの高価買取が実現できています

カエルに感謝です。

 

Q 付いている宝石ってどうやって見ているの?

A 詳しい方はご存知と思いますがダイヤモンドはランクで決めています!!!!

簡単に言うと透明でキラキラしてて綺麗な逆三角形なやつが高いです!!!!!

他の宝石類も簡単に言うと透明で原色に近いと高いです!!!(ザックリしすぎですいません)

正確なランクは経験が物を言います!!ですがエコプラスには

ダイヤモンド鑑定士と宝石鑑定士の資格を両方持ったスタッフがいるので安心して下さい(*^_^*)

経験が浅いスタッフだとびびって安く提示しがちになりますのできちんとしたスタッフがいる所に買取って貰いましょう\(゜ロ\)(/ロ゜)/

 

Q デザイン料って何?

A 全く同じネックレスで、ちぎれている場合とちぎれていない場合では同じ値段ではお買取出来ません\(◎o◎)/!その差がデザイン料です!!しゃれとんしゃあな製品は高く売れます!!

 

Q 売るならいつ?

A ここ一番大事です!!!!2017年中がGOODです!!!!

高く売れる時は僕らも高く買取りできます・・・逆に安くしか売れない時は高く買取り出来ません(*_*;

僕らの利幅は同じです!!!!ならば売ってくれるお客様の為に高く売れる時買わせて下さい<m(__)m>

ならばいつが高いのか今です・・・(林先生ならいまでしょ)世界的な争い事が有ればバカみたいに高騰するのが金プラチナですが争いなんて誰も望んでいません!!

オリンピックまでは上がる思っている方!!!!それは危険です!!!!!下がるのは一瞬です・・・私自身も2回ほど痛い目に会いました(泣)

世界の主要国の大統領が変わった直後は100%上がります!!!トランプ大統領が誕生した今が狙い目です。今を逃したら次はロシア、中国、インド、ドイツですがいつになるか????ですよね

 

では皆さま店頭でお待ちしてます\(゜ロ\)(/ロ゜)/分からない事が有ったらお店に電話して下さいね(^O^)/失礼します\(゜ロ\)(/ロ゜)/

 

 

美味しいビールの歴史

2017.05.14

ビールの豆知識

ビールの歴史

古代から中世のビール

 ビールの誕生については諸説があり、紀元前8000~4000年までさかのぼるといわれ、文明とともに古くから人々に親しまれていたのは確かなようです。
 人類最初の文明は、メソポタミアに興ったシュメール文明だといわれていますが、そこではすでにビールが飲まれていました。シュメールの人々が粘土板に楔形文字で描いたビールづくりの模様が記録に残っているからです。当時のビールの製法は、まず麦を乾燥して粉にしたものをパンに焼き上げ、このパンを砕いて水を加え、自然に発酵させるという方法だったようです。
 また、紀元前3000年頃のエジプトでもビールは人々の間で広く飲用されていました。肥沃なナイル河畔で収穫される大麦を原料につくられたのです。
 その後の時代でもビールは、アッカド・アッシリア・バビロニアなどの古い文明遺跡から、製造・飲用の事実が明らかになり、重要な飲み物として広まっていったようです。
 紀元前1700年代半ばに制定された初めての成文法『ハムラビ法典』にもビールにかかわる法律が制定されています。この頃には各所に醸造所が建設され、今日のビアホールにあたる店も出現していたようで、その取り締まり規則、罰則などが公布されました。例えばビールを水で薄めた者は、水の中に投げ込まれるという罰を設けたり、ビアホールで謀叛の密議などをしているのを知った店の主人はすぐに届け出ないと同罪に処す、といったものです。

修道院の醸造風景
修道院の醸造風景

 いずれにしても、古代人の生活においてビールは神の恵みである神聖な飲み物であったことに変わりはありません。強烈な陽光の下で働く農民や労働者にとっても、一杯のビールは渇きを癒し、健康を感謝し、明日のエネルギーを蓄える役割を果たしていたのでしょう。
 一方、ギリシャ・ローマというとワインが主役になります。これは、気候風土の関係で麦類の生育がはかばかしくなかったためと考えられます。これに対して、葡萄はよく生育したので、もっぱら葡萄酒を醸造することになりました。ギリシャ悲劇の詩人ソフォクレスが、「ギリシャ本土のビールを、我々は飲みたいと思わない」と書いていることからも、あまり上等なビールができなかったことがうかがえます。
 北ヨーロッパでは、古代ゲルマン人が定住生活に入った紀元前1800年頃にはすでにビールがつくられていたことが記録されています。
 ゲルマン人やケルト人のビールは、麦類を麦芽に加工する現代にも通じるつくり方をしていたようですが、ローマ時代の歴史家・博物誌家のタキトゥスの書『ゲルマニア』によると、あまり上等な酒とは思われていないばかりか、ゲルマン人のビール好きが揶揄されています。「飲料は大麦または小麦からつくられ、いくらか葡萄酒に似ているが品位の下がる液体である。……彼らは渇きに対して節制がない。その酒癖をほしいままにさせるならば、彼らは武器によるよりはるかに容易に、その悪癖によって征服されるであろう」。

ホップ
ホップ

 中世になると、ヨーロッパでは、上等なビールが修道院でつくられるようになりました。当時の知識人であった修道士や僧侶たちは醸造知識にも優れ、香味剤である「グルート」を使ってビールをつくりました。この頃のビールは、栄養補給や医療にも利用されていたようです。
 ところが、11世紀後半になると「グルート」の中でも「ホップ」を使用した場合に、ビールの品質が飛躍的に向上することがわかってきて、このビールが次第に広まっていきます。13世紀には、修道院のグルートビールと都市のホップビールの間で激しい競争を巻き起こすことになりました。15世紀以降、都市の発展とともにギルド制が定着するに至って、ビールの醸造は次第に市民の手に移るようになっていきます。ビールが市民に広く愛飲されるにしたがって、醸造技術に次々と改良が加えられ、ビールの品質はより向上していきました。
 ドイツでは、1516年に「ビール純粋令」が出されており、大麦・ホップ・水の3つの原料以外は使用してはならないと定めることで、ビールそのものの定義を決定するとともに、品質維持向上に貢献しました。
 大航海時代には、ビールは腐りやすい水の代わりに飲料用として用いられており、アメリカ大陸発見で有名なメイフラワー号には、400樽ものビールが積み込まれていたそうです。


ビールの語源

 ビールは古代バビロニアではシカリといいました。このシカリがヘブライ語ではシェケール(濃い酒)となり、ギリシャ語ではシケラ(甘い酒)となります。ホメロスの『イーリアス』にはキューケイオー(混ぜ粥)というものが出てきますが、これは粥といっても飲み物といったもので、元来はビールではなかったかといわれています。
 ケルト人(ガリア人)はローマ時代、フランス地方に住んでいましたが、ローマ人は彼らの飲むビールをセルボワーズと呼んでいました。これはスペイン語のセルヴェーサ、ポルトガル語のセルヴェージャと同じく、ラテン語のケルウィシア(ケレスのウィシア、生命力)に由来します。ケルト人は自分たちの言葉ではアルーとかエウルといっていたようです。これはエール同様「植物のしぼり汁」の意味で、苦味や渋味をもつ植物を加えた飲料を指していたといわれます。オイルも同じ系統の言葉です。
 ビールという言葉はゲルマン語のベオレ、つまり穀物からきたといわれています。どうやらこれが現在のビールの語源といえるのかもしれません。
 ロシア語ではビールのことをピーヴォといいます。”飲む”のピート、”酒類、飲料”のピートョの古語ピーヴァトに関係があるようです。今もつくられるクワスはパンを砕いて水に入れ、発酵させたものです。


ホップの起源

中世ホップの収穫
中世ホップの収穫

 紀元前2000年頃のオリエントのビールには、まだホップは使われていません。ホップが、いつ頃からビールに使われるようになったかについては定説がありません。
 新バビロニア帝国のネブガドネザル王がユダヤ王国を征服し、多くの住民をバビロンに連れていった、いわゆるユダヤ人の「バビロン捕囚」の時代(紀元前530年)に、彼らの書き残したものがあります。彼らはワインも飲みましたが、ビールをセカールと呼び、その製造に大いに力を注ぎました。ユダヤ教の教書『タルムード』の中にカスタと呼ばれる植物がありますが、フーバーはいろいろな根拠からこの植物をホップと判断し、この時代(紀元前600年頃)からホップが使用されるようになったと推測しています。
 これに対しブラウンガルトは、その著書『ホップ』の中で、現在、メソポタミアの近くでホップの野生しているところはコーカサスであると書いており、この地方には今でも古代印欧語を話すオセッテという民族が居住し、野生のホップを使い、極めて原始的な方法でビールをつくっているということを明らかにしています。

中世の醸造風景
中世の醸造風景

 また、コーカサスの南に居住していたアルメニア人の紀元前の酒盛の絵には、ホップとビールの絵が描かれています。
 これらの事実から類推すると、ホップがビールに初めて使用されたのはおそらく紀元前1000年頃で、ビールのつくり方がコーカサスへ伝播し、その地の民族によって初めてホップが添加され、アルメニア人を通じてバビロンへ逆輸入されたのかもしれません。
 今日、野生のホップは北半球の寒冷な地方に見出されています。ホップはつる性の植物であり、わが国のカラハナソウ(唐花草)もその一種で、「雌花の小苞ならびに萼(うてな)には黄色の細腺粒が付着し、佳香を放ち、味にがく、その点、母種のホップ、すなわちセイヨウカラハナソウと異ならず」と、牧野博士の『日本植物図鑑』に記されています。


近代ビールの誕生

収穫を待つ大麦畑
収穫を待つ大麦畑

 近代以降のビールに決定的な影響を及ぼしたのは、細菌学者パスツールだといえるでしょう。彼は生物の自然発生説を否定し、生物は生物からのみ発生することを実験によって証明しました。彼はその理論の延長から、葡萄酒の再発酵を防止するために低温殺菌法を発明しています。この方法はパストリゼーションと呼ばれ、ビールはこの方法を採用することによって長期間変質しないでおくことが可能になったのです。
 さらにいえば、ハンセンが酵母の純粋培養法を発明したのもパスツールの理論の応用といえますし、消毒による衛生環境の改善なども彼の殺菌という考え方から導かれたものです。細菌から守り、安定した品質のビールを長持ちさせることができるようになったのは、パスツールのおかげといってよいでしょう。
 また、ビールの普及のうえでリンデの名前も欠かすことはできません。現在、世界の主流である下面発酵ビールは低温でじっくり時間をかけて、発酵熟成させることが必要です。リンデが発明したアンモニア冷凍機は初めて工業的に四季を通しての醸造を可能にし、品質を向上させることに貢献しました。
 なお、缶ビールについてですが、缶詰の原理はアペールによって考案されました。また、缶ビールそのもののアイデアは、1935年にアメリカで生まれたといわれています。


ビール産業の誕生

コープランド
コープランド

 わが国にビールが入ってきたのは英米の船が来航してからのことです。万延元年(1860)、幕府の第一回遣米使節の一人、玉虫左太夫は初めてビールを飲んで「苦味ナレドモ口ヲ湿スニ足ル」と書いています。
 それ以前、ペリーが来航した嘉永6年(1853)に、蘭方医川本幸民は蘭書の記載を見て、江戸の露月町の私宅でビールを試醸したといわれていますから、これが日本でのビール醸造の起源といえるでしょう。
 明治3年にはアメリカ人コープランドが横浜の山手居留地に「スプリング・バレー・ブルワリー」を創設してビールの醸造を開始し、主に居留外人向けに販売しました。
 明治5年に大阪で渋谷庄三郎が日本人では初めてビールの醸造・販売を本格的に開始、翌6年には甲府で野口正章が、そして9年には札幌で北海道開拓使麦酒醸造所が創設され、中川清兵衛を中心に醸造を開始、翌10年には東京に出荷しています。

北海道開拓史麦酒醸造所開所式 (明治9年)
北海道開拓史麦酒醸造所開所式 (明治9年)

こうして日本のビール産業は黎明期を迎えることになります。
 一時は100社前後のビール会社ができるほどで、ザンギリ頭で代表される文明開化は日本人の生活様式にも多くの変化を与え、ハイカラ族はビールを好み、文明人たらんとしたといわれています。ただし、この時期は国産ビールに比べ舶来ビールが幅をきかせていました。


近代的ビール産業の形成

大正時代の仕込室風景
大正時代の仕込室風景

 明治20年代に入ると日本も産業革命による近代化が本格的になってきます。近代的なビール会社が各地に誕生し、新しい時代を迎えつつありました。
 明治20年には東京で日本麦酒醸造会社が、21年には北海道庁から払い下げられ札幌麦酒会社が、22年には大阪で大阪麦酒会社が設立され、26年にそれぞれ日本麦酒株式会社、札幌麦酒株式会社、大阪麦酒株式会社となりました。また、横浜のコープランドビールは、その後香港法人のジャパン・ブリュワリー・リミテッドが引き継ぎ、明治21年から麒麟ビールを発売しています。現在に至る会社はいずれもこの時期に新たな出発をしています。
 明治16年、日本のビール総生産量は1,155石(約208kl)、輸入が2,500石(約450kl)だったものが、20年には国産17,508石(約3,151kl)、輸入9,053石(約1,630kl)と国産と輸入が逆転し、30年には国産65,717石(約11,829kl)、輸入が858石(約154kl)となり、この時期、ビール産業の著しい成長がわかります。

明治20年代のビアホール
明治20年代のビアホール

 明治の初めにはビールには酒税が課せられていませんでした。一方、清酒は地租と並んで歳入の二本柱となっており、ビールに比べて不公平であるという不満が高まっていました。明治33年、北清事変が起きると、翌年10月にビールにも軍備増強のために酒税が課せられることになります。資金力の弱い小醸造所はその負担に耐えられず、姿を消していきました。ビール産業は明治30年代から40年代にかけて再編成されることになりました。


明治35年頃のポスター

明治40年のポスター

明治期のポスター

第一次世界大戦による活況

第一次世界大戦による活況

 大正3年に第一次世界大戦が勃発しましたが、日本は地理的条件にも恵まれ、ほとんど参戦することなく経済的には好況を迎えることになりました。ビール業界もその恩恵を受け、ヨーロッパからビールの補給を断たれた東南アジアやインドの市場に進出するなど大戦景気を満喫しました。その後もビールに対する需要は旺盛で、ビール会社は次々に新工場の建設に乗り出し、新たにビール事業を始める会社も現れ活況を呈しました。ちなみに、第一次世界大戦の終了した翌大正8年、アメリカでは禁酒法が議会を通過し、ビール醸造機械が不要となりました。これを買い取った日本の企業家が新しいビール会社をつくるようなことも起こりました。


昭和初期の不況によるビール産業の混乱

 大正末期から昭和初期にかけて大戦後の反動的不況が深刻化し、消費量の低下や安売り競争の激化などビール産業も混乱と低迷の時代を迎えることになります。昭和8年、大型の合併および共販会社の設立により業界の秩序は徐々に回復し、14年には戦前の最高である31万klの生産量を記録しました。
 昭和14年、ヨーロッパで第二次世界大戦が勃発すると、政府は国家総動員法の発動を決意し価格統制令を施行、物価だけでなく原料や製造量まで統制を受けることになりました。ビールの価格統制は昭和14年の価格指定から始まり、15年には生産・卸・小売りの3段階について都市、地方別に公定価格が設定され、18年には全国単一の公定価格となりました。
 また、昭和15年には配給制が開始され、18年にはラベルはただ「麦酒」と書いただけのものになってしまいました。
 太平洋戦争への突入により原料である大麦やホップは次第に入手困難となり、また電力・石炭なども不足したため、生産量は減少の一途をたどりました。終戦の年の生産量は昭和14年当時の4分の1となってしまい、この水準に戻ったのは28年になってからです。
 この間、ビール税は戦費調達のためほとんど毎年のように増税されています。


大正末~昭和初期のポスター

昭和初期の海外向けポスター

昭和10年頃のポスター

戦後の再建から復興へ

各社の商標がない戦時中のビールのラベル。

各社の商標がない戦時中のビールのラベル。”日本””アサヒ””キリン”の商標が復活したのは、昭和24年12月、さらに、カラーになったのは昭和32年1月でした。

 戦後の混乱のなかでビール会社は復興への努力を開始しました。
 昭和24年、ビール産業にも過度経済力集中排除法が適用され、トップメーカーである大日本麦酒が2分割されて戦後の新しい体制ができあがるとともに、酒類配給公団が廃止されて、ビール会社は自由に出荷・販売できるようになりました。同年6月には料飲店の再開を待ってビアホールも各地で復活、ビールファンが押し寄せ大にぎわいだったといいます。ついでながら東京都内では500ml入りジョッキ1杯が130円でした。
 翌昭和25年には特約店ルートによる販売を開始して本格的な競争を再開し、27年には原料統制が解除されて、28年には戦前の最高水準を超す生産高を達成するまでになっています。
 昭和30年代は所得倍増の波に乗ってビールに対する需要も大幅に伸びた時代でした。戦前のビール消費がほとんど料飲店であったのに対し、戦後はこの時期から家庭で飲まれるビールが飛躍的に伸びてきています。電気冷蔵庫が普及したのもこの時期で、家庭に買い置きされたビールが食卓に並ぶことになったのも大きな原因でしょう。
 昭和39年のビール製造量は約200万klに達し、10年間で5倍の伸びとなったのです。こうしたなかでビール会社は生産能力の拡大に努め、新しい工場が次々に建設されました。新しくビール事業に進出する会社があったのもこの時期です。
 昭和35年には統制が撤廃され、戦前の公定価格は基準価格制度へと移行します。さらに昭和39年には基準価格が廃止され、昭和14年の価格統制実施以来実に25年ぶりにビールは自由価格に復帰したのです。


近年の市場の動向

ビアホール
ビアホール

 昭和40年代はビール需要の伸び率が徐々に鈍化してきましたが、全国で10工場が新設され、製造量は10年間で約2倍に達しました。また、現在使用しているプラスチック箱の導入やビールギフト券の発売もこの時期に行われました。
 昭和50年代に入ると、52年に製造量が400万klに達したものの年率平均2.6%の伸び率となり安定成長期に入りました。
 その後、昭和62年に製造量が500万klを突破し、平成元年には600万kl、さらに6年には700万klを超えました。7年以降は景気の低迷等の影響により、再び600万kl台の水準となりましたが、6年に記録した713万5千klが過去最高の製造量となっています。
 このように近年もビールの製造量は安定的に増え続けています。これは消費者の嗜好の多様化・個性化や女性の飲酒人口の増大に対応して、各種の新商品の発売を含め商品対策の活発な展開や、ビールをいつでも新鮮な状態で流通するためのフレッシュローテーションをはじめとする一層の品質向上努力により、健康的な低アルコール飲料であるビールの特性が消費者に幅広く支持されたことによるものと考えられます。
 最近のビール工場は、消費者の方々が楽しくわかりやすく見学できるよういろいろと工夫がなされ、また外国ブランドビールの国内ライセンス生産を行っている工場もあり、国際的な広がりも出てきています。
 さらに、規制緩和のひとつとして平成6年4月にビール製造免許に係る最低製造数量基準が年間2,000klから60klに引き下げられました。これにより、わが国でもマイクロブルワリーやパブブルワリーが各地で次々登場し、それぞれ個性あるビールを製造しています。


昭和後期のポスター

昭和41年のポスター

昭和後期のポスター

昭和後期のポスター

昭和後期のポスター
出典:ビール酒造組合 http://www.brewers.or.jp/tips/histry.html

福岡・北九州・小倉の高価買取と質屋の「エコプラス」。出張&宅配買取はお見積り無料!お気軽にお問い合わせください。免税店あります(TAX-FREE)

  • エコプラス小倉南店(免税店 TAX-FREE)
  • エコプラス小倉北店
  • エコプラス門司店
メールでのお問い合わせはコチラ

関連サイトのご案内

  • ウイスキー・ブランデー買取
  • 高級ボールペン買取


運営会社

株式会社ライフクリエイト
住所:福岡県北九州市小倉南区湯川1-2-13
TEL:093-932-1331
HP:https://www.lifecreate-kc.com

pagetop